山々がお化粧をして誘ってくれました(#^.^#)

山々が白くお化粧をしたようになりました。
その正体は丹後でニオイコブシとも呼ばれるタムシバです。

タムシバはコブシに似ますが、花に芳香があるのと葉がやや細長く、この葉を噛むと独特の甘みがあるこから「噛む柴」の名がつき、これが転じてタムシバとなったともされています。
樹高が高く、なかなか間近で花を見れませんが、コブシとの違いは、タムシバは花の基部に葉が無く、コブシは小さな葉が一枚付くことでも見分ける事ができます。

山へ分け入るとキブシの花も今が旬のように至る所で見かけます。

この独特のひもを垂らしたような花姿が印象的で覚えやすい花です。
よく見ると小さな釣鐘状の花がたくさん付いています。

花色はよく似ていますが、こちらはヒュウガミズキです。
ヒュウガミズキはやせた山地でもよく育ち、ここ大江山周辺の蛇紋岩が多い土質が合うのか、よく見かけます。

日向ミズキの名前から九州が自生地のようですが、実は丹後・丹波が主な自生地なんですよ。
どうやら戦国武将の日向守光秀(明智光秀)の名前から付けられたともされています。

ミツマタも今が旬で、甘い香りを漂わせていました。

里の田畑の畦ではオオイヌノフグリやヒメオドリコソウが春の光をいっぱい浴びて気持ちよさそうです。
あと一週間もすれば桜も満開、いよいよ春本番ですね。(^^)/

伊根舟屋の里観光マップをリニューアル

先日、伊根の町を久しぶりに散策すると施設が色々と整備され、観光の町として飛躍しつつあるのを実感しました。

新しくお店が出来たり

お寺さんでさえ宿坊と称して観光客を受け入れたり

民家の軒先では観光客を楽しませてくれる心配りがあったりとか

アクセスも一気に増えて来たので、迷惑が掛からないように、古い情報を修正して、サイトをリニューアルしました。↓

舟屋の里 伊根は蔵の里?
昔は「伊根の舟屋」で通っていましたが、今は「舟屋の里 伊根」と呼ぶ方が多くなり、観光客の姿も以前と比べると数段多くなり、今では天橋立に次ぐ観光スポットとなったように思います。
時が移りゆくと伊根のシンボルだった「ええにょぼ」のモニュメントも今は色あせ「これは何?」という感じで人々は見てゆきます。それもそのはず、NHKの朝ドラの舞台となってから、もう30年も過ぎるのですから。
そして、観光拠点が旧役場前の伊根浦公園付近に移ってから、人の流れもこの高台から海の近くへ変わったように思います。

またまた動画撮影で伊根の町をぶらぶらしていると、あらためて蔵が多い事に気づきました。そしてほとんどの蔵にはマークの様な物が付いているのが気になります。調べると、寺院様式の影響を受けて江戸時代末期から庶民にも浸透した風習の様な物で、関西を中心に見られるそうです。特に厳格な意味はなく、おまじないみたいなもので、家紋や縁起の良い文字や絵だったりするようです。
これはツルと亀で長寿を願っているのでしょうか。土壁なのでコテ絵で描かれています。

家紋らしき模様や「寳」「宝」です。寳は宝と読み大事な物が蔵にあるという意味でしょうか?泥棒来るよ(-_-;)


「水」は家を火災から守る意味があるようですよ。




こうして見ると、「宝」や「寳」が多いですね。これはきっと観光資源の宝なんですよ。蔵の多い町ですが、何故か「倉」さんという名字の方も多い町なんですよ。

日本で一番海に近い生活!まさに日本のベネチアですね。

ぶらり 城下町宮津
天橋立の遺物(異物)
天の橋立に堂々と横たわる遺物。
今となっては私の目には異物としてしか映りませんが、子供の頃は松並木の中で一番に興味をそそる物でした。

これは旧海軍の戦艦「春日」に搭載されていた大砲との説明書きがあります。この大砲は海軍思想普及のために、大正時代に海軍大臣より下付されたものです。
海軍思想って何か理解できませんが、子供の頃にこれを見て興味を持ったという事は、人間って「強い物」「かっこいい物」「神秘的な物」に踊らされ、洗脳されやすい生き物なんですね。(-_-;)
今は、「強い物には反抗的」「かっこいい物(者)とは無縁」「神秘的な物には何とか興味あり」と言ったところでしょうか。
それにしても、この大砲が置かれたのが大正時代なのに、昭和の太平洋戦争の時あった「金属類回収令」で持って行かなかったのが不思議です。持って行くと天橋立神社の罰が当たり、戦争に負けるとでも思ったのでしょうか?使わなかったから罰が当たったのかも知れません・・・
磯清水
こちらは海に囲まれた中にあって、真水が湧き出るという不思議な井戸ですね。

天橋立神社
最近少しパワーダウン気味です。以前は「恋のパワースポット」とされ、若いカップルをよく見かけましたが、雑誌などで取り上げられなくなったせいか、忘れ去られつつあります。

そんなこんなで、天橋立神社のパワーが少しでも戻るといいなと思い動画を作ってみました。是非ご覧ください('ω')ノ

丹後に伝わるもう一つの浦島伝説

日本最古の浦島伝説といえば、伊根町本庄の浦嶋神社に伝わる伝説が有名ですが、丹後にはもう一つ、浦島太郎を祀る神社「島児神社」が京丹後市網野町にあります。

網野町には日本海側最大級の前方後円墳といわれる「網野銚子山古墳」があり、その古墳に寄り添うように浦島太郎住居跡とされる石碑や、伝説に登場する「しわエノキ」と呼ばれる古木があった場所もあります。

残念ながらこの「しわエノキ」は台風により倒れ、現在はありませんが、二世がすくすくと育っています。

丹後に伝わるこの2つの浦島伝説を掘り下げてみました。ご興味のある方は下の「丹後探検隊」のホームページからどうぞ。↓

丹後の宮津でピンと出した~ で有名な宮津節
丹後の宮津でピンと出した~♪ で有名な宮津節が丹後にはあります。
宮津節は、江戸時代から栄えた城下町宮津で、北前船の船乗りや各地から訪れる商人で賑わった、宮津・新浜の花街で親しまれたお座敷歌であり、踊りです。その踊りは時代が流れ、今は市民に盆踊りで踊られたり、保存会や振興会の皆様の手で継承され、郷土芸能として宮津市有形文化財の一つになっています。
先日、重要文化財 旧三上家住宅で行われた、宮津おどり振興会の皆様の踊りを編集し、YouTubeにUPしました。
(前回は丹後小唄でしたが、今回は宮津節・宮津盆踊り松阪・あいやえ踊りの三曲です。)

重文 三上家住宅を可愛い高校生ガイドさんが案内してくれました(^^)/

宮津にある「旧三上家住宅」は、江戸時代に糸問屋や酒造業また廻船業などを営んでいた商家「三上家」の住宅でした。
美しい白壁で覆われた気品のあるたたずまいは、江戸時代から続いた豪商の住宅にふさわしい風格を備えています。
平成元年に京都府指定有形文化財に指定され、平成15年には主屋をはじめとする8棟が国の重要文化財に指定されています。

今日は宮津おどり振興会の皆様による宮津踊りも披露されます。

そして、三上家住宅の案内を可愛い高校生ガイドさんがしてくれました。(^^)/

これは釘隠しと呼ばれる釘の頭を隠す飾り金具です。場所によりデザインが変わります。

「三上家庭園」は京都府指定名勝となっています。

可愛い高校生さんの三上家住宅ガイドと宮津踊り振興会の皆様の踊りを YouTube UP しました。是非ご覧ください。
徐福伝説が伝わる新井﨑神社

伊根町新井には古くから徐福信仰があり、その徐福を神として祀る「新井﨑神社」があります。
徐福伝説とは、東方に不老不死の霊薬があるとして、中国・始皇帝の命を受け日本にやって来た大陸からの渡来民族の話です。

新井崎神社の案内板によると、「今から2200年前(弥生時代の初期)中国の泰の始皇帝の命を受け、方士徐福が綿密な計画のもとに数ヶ年の歳月を費やし、不老不死の仙薬を求めて童男童女3000人、五穀の種子、百工(技術者)を従え東海に船出した。
新大明神碑記によると、徐福がこの地を易筮によって予知し、漂着した場所は新井崎のハコ石であると伝わっている。」と記されています。

新井﨑神社から少し下った所には「經文岩」と「はこ岩」の、遺跡とされるものがあります。

「はこ岩」は、とても船を接岸出来そうな場所ではありませんが、ここが上陸の地との言い伝えです。

新崎一帯は黒い色をした火山岩で出来ています。

「はこ岩」から少し回り込んだ新井漁港には船を付けれそうな入り江はありますが、いずれにしても二千年も前は海岸線も全く違う位置にあったと思われます。

こちらの神社は名前は分かりませんが、船の安全を願うような祠でしょうか?

何か凄いパワーを感じます。
